マルゼンスキー
いきなりトップギアでいっちゃうから、よろしくね♪
誕生日 | 5月19日 |
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身長 | 164cm |
体重 | 理想的な仕上がり |
スリーサイズ | B93・W58・H88 |
CV | Lynn |
イギリスの名門ウマ娘一族をルーツに持つ、名家の才媛。気さくで明るく、誰もが憧れるキレイでステキなお姉さん。
〝スーパーカー〟に例えられる圧倒的なスピードと、観客を魅了する美しさを兼ねそろえた、まさしくトップスターの名にふさわしいウマ娘。
そのニックネームの通り、趣味は愛車のスーパーカーでサーキットをドライブをすること。しかし助手席に乗った者は、その後ことごとく重度のトラウマを負ってしまうらしい……。
以下、元ネタの馬情報です。
家族構成
父:Nijinsky
母:シル
半妹:モガミソロン
半弟:シルモア
個人的にはサイレンススズカよりもヤバい逃げ馬だと思っているマルゼンスキー、あだ名は「スーパーカー」
イギリス三冠馬のニジンスキーの持込馬(母馬が国外で交配して仔馬を日本で産むとそう呼ばれる)で、○外…いわゆる外国産馬と同じような扱いだったので今で言うGⅠクラスの主要レースに出走する事が出来ませんでした。
競走成績
3歳新馬:1着
いちょう特別:1着
府中3歳S:1着
朝日杯3歳S:1着
4歳オープン:1着
4歳オープン:1着
日本短波賞:1着
短距離S:1着
朝日杯3歳ステークス
元より脚部不安のあったマルゼンスキーは強い調教を受けられなかったものの、新馬戦では2着に10馬身以上差をつけて勝利、続くいちょう特別も2着に9馬身差をつけて他馬との圧倒的な力の差を見せ付けました。
府中3歳ステークスでも圧倒的…ではなくヒシスピードとの競り合いの結果、ハナ差で勝利。
そして関東の3歳王者を決める朝日杯3歳ステークスでは前走を教訓にしっかり調教し、前走で戦ったヒシスピードになんと13馬身差、走破タイム1分34秒4というレコードタイムで勝利しました。
ちなみに鞭は入れてなかったので「本気で追ったらあと2秒は縮まる」と騎手の中野氏は言ったそうな。
日本短波賞
4歳オープンではマルゼンスキーが強すぎるが故に回避馬が続出、競争不成立になりそうになったり(結局レースは成立しましたが)、その後に骨折して休養明けのオープン戦では2着に7馬身差をつけて勝利したり。
これだけ強いのに持込馬が故にマルゼンスキーはダービーには出られないという事実に騎手の中野氏は「枠順は大外でいい。他の馬の邪魔もしない。賞金もいらない。だからマルゼンスキーをダービーで走らせて欲しい。そうすれば(どの馬が一番強いのか)分かるから」と言ったそうな。
そんな世間からも同情の目が向けられる中、マルゼンスキーは「残念ダービー」なんて呼ばれていた日本短波賞(現在はラジオNIKKEI賞)に出走。
いつも通り序盤から先頭に立ったので圧倒的な逃げ切りか、と思われましたが3コーナー辺りから不自然な失速…まさか故障か?と観客もハラハラ。
しかし2番手を走っていたインタースペンサーに並ばれて鞭を入れられると凄まじい加速を見せ、直線では完全に独走状態、結局2着のプレストコウに7馬身もの大差をつけて勝利しました。
そしてマルゼンスキー最後のレースとなった短距離ステークスでは初めてのダート戦に加え、ヒシスピードや重賞6勝のヤマブキオーなど強豪が出走していましたが結果は2着のヒシスピードに10馬身差をつけ1分10秒1のレコードタイムで勝利、無敗の8連勝を成し遂げたのです。
その後はテンポイントやトウショウボーイやグリーングラスの待つ有馬記念に…と思っていたら屈腱炎を2度も発症したので出走回避、出走可能なレース自体が限られていた事もあってそのまま引退。
引退後は種牡馬としても成功し、1997年8月21日に23歳でこの世を去りました。
「さようならマルゼンスキー 語り継ごう、お前の強さを」
引退式の横断幕に書かれたこの言葉は今もしっかりと語り継がれています。
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