【ウマ娘】ハルウララの評価やステータスなど

ウマ娘

ハルウララ
現在ウマ娘がどういったゲームになるのか未だ分かっていません。
この記事は仮暫定版のようなものなのでゲームの情報が公開され次第更新していきたいと思います。
何も書かないのもアレなので元ネタとなったハルウララの情報を書き連ねていきます。

家族構成

父:ニッポーテイオー
母:ヒロイン

馬体も小さく、性格も臆病なのにワガママ、そして飽きっぽい。
競走馬としてやっていけそうになかったウララは案の定売れ残ってしまい、牧場が所有権を持って走らせる事になりました。
調教師は宗石大、担当厩務員は当時新人だっ藤原健祐・・・何故かウララは藤原氏にだけは懐くようになります。

競争成績

113戦0勝(113連敗)

丈夫だったからこそ成し得た事

デビュー戦は最下位、そもそもデビューさせる事にすら手間取ったウララはその後も2着や3着はありましたが勝利には繋がらず連敗を重ね続けます。
本来なら引退(乗馬には適していないのでおそらく廃馬)レベルだったものの、年間約20走というヘビーローテーションをこなして出走手当を稼いでいた事もあってギリギリ最悪の結果は免れていました。
ダートの短距離とはいえこの出走回数を可能にしたのはやはりウララの丈夫さあっての事だと思います。
宗石氏は「走れるなら走らせてやりたい」との思いで馬主に頼んで現役を続行させた模様。

沸く人々の間に見えた光と闇

7歳になったウララは100連敗目が近付き、流石にそろそろ引退じゃないかと周囲が考え始めた頃に地元新聞がウララに目を付け記事を組んでマスコミに売り出して大々的に宣伝した結果、あの「ハルウララブーム」が到来します。
これは財政状況の関係で廃止の危機にあった高知競馬にとっては千載一遇のチャンスでした。
ウララの「負けっぷり」を見ようと押し寄せるかつてない程の観客、マスコミ・・・グッズまで作られた結果、経営は黒字となり高知競馬場はなんとか廃止を回避。
連敗記録をどこまで伸ばせるのかという所に世間の注目が集まっていましたが、やはり関係者としては複雑だったようで、宗石氏は「必ず1勝する為の調教は出来るが、それをするとウララは故障する。僕はそんな調教はしたくない」と言い、藤原氏は「連敗記録が話題になっているけど、やっぱり勝って欲しいと思っている。その為に僕達は世話しているのだから」とコメント・・・当たり前ですな。

100連敗目のレースでは5000人を超える観客が高知競馬場に押し寄せ、100連敗セレモニーなるものまで行われました。
106敗目のレースでは武豊騎手が騎乗するという事もあってか入場者数1万3000人、馬券売上額5億1163万円にまで昇り、あまりの観客の多さに高知競馬では初めての入場制限まで行う事に(馬券購入の待ち時間はなんと7時間だったそうな)。
109敗目のレースでは2着、これによりグレースアンバーの108連敗の記録を更新して当時の歴代2位となりました。
ちなみにブラックハーロックは141連敗、ハクホークインは161連敗、エリザベスクィーンは162連敗と記録だけならウララより上の馬は結構いたり。
連敗記録1位はマイネアトリーチェの192連敗だったはずだけどどうだったかな・・・w

ブームが過ぎ去っても

8歳になってブームも過ぎたウララは馬主関係の色々ないざこざに巻き込まれる形で栃木に移送されてそのまま引退。
引退レースを行うこともなく、高知にも戻ることなく・・・その後は消息不明になったりしていましたが、今はマーサファームに所有権が移っていて元気にしているそうな。
引退後はいつの間にか肉と化していたなんて事も結構ある世界なので本当に良かった・・・。

ハルウララぬいぐるみ

結局、一度も勝てないままターフを去ったウララでしたが、レースでは手を抜くことなく一生懸命に走っていました。
宗石氏は「プロから見れば10人中10人が競走馬としては魅力がない馬だと答えるだろう」と言い、武氏は「強い馬が強い勝ち方をするのが競馬の本質だと思う、けどあれだけのファンを高知競馬場に誘い、日本全土を沸かせた彼女は間違いなく名馬と呼んでいいでしょう」とコメントしていたように競走馬としては失格レベルだったとしても、そのひたむきに走り続ける姿は確かに僕達の心を掴んでいました。

ウララもまた、記録より記憶に残る馬だったと思います。
人間に振り回された感が強いウララですが、余生は幸せに過ごして欲しいと切に願うばかりです。

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