【ウマ娘】シンザンの評価やステータスなど

ウマ娘

Lynn
現在ウマ娘がどういったゲームになるのか未だ分かっていません。
この記事は仮暫定版のようなものなのでゲームの情報が公開され次第更新していきたいと思います。
何も書かないのもアレなので元ネタとなったシンザンの情報を書き連ねていきます。

家族構成

父:ヒンドスタン
母:ハヤノボリ

幼少の名は松風、牝馬のように小さなその馬が後に神話を築くとは誰が予想したでしょうか・・・・

競争成績

3歳新馬:1着
3歳OP:1着
3歳中距離特別(OP):1着
4歳OP:1着
第13回 フジTVスプリングS(OP):1着
第24回 皐月賞(OP):1着
4歳OP:2着
第31回 東京優駿(OP):1着
4歳上OP:2着
第12回 京都杯(OP):2着
第25回 菊花賞(OP):1着
4歳上OP:1着
4歳上OP:1着
第6回 宝塚記念(OP):1着
4歳上OP:1着
第61回 目黒記念(OP):1着
第52回 天皇賞(OP):1着
4歳上OP:2着
第10回 有馬記念(OP):1着

第31回 東京優駿

期待馬が他に多くいたからかシンザンは全く期待されていませんでした。
馬体もパッとしない、調教では全然走らない・・・にも関わらず騎手の栗田勝は二冠馬のコダマより上かもしれないと評しましたが、調教師の武田文吾は「ねーよw」と一蹴。
デビューしたシンザンは無敗で3連勝、勝てそうなレースを選んでいたのは事実だったし、何よりもオンワードセカンドという一番の期待馬がいた為に武田氏はまだシンザンの能力に否定的でした。

4勝目を上げた頃、シンザンは後脚と前脚がぶつかって出血する問題が起きたり・・・これをどうにかする為に試行錯誤の末に生み出されたのがT字型のブリッジが特徴の「シンザン鉄」でした。
ちなみにこのシンザン鉄、通常の蹄鉄とは違ってかなり重い上に1、2週間程で交換しなくてはいけなかったそうな。

シンザン鉄の開発などで2ヶ月の休養後の復帰戦であるフジTVスプリングステークスをウメノチカラやトキノパレードを抑えてあっさり優勝。
これには流石に武田氏も考えを改め「お前がこれほど大物だとは思わなかった」とシンザンに謝ったそうです。
次走の皐月賞も圧勝してクラシック一冠、ひょっとしなくても三冠取れるんじゃないかと皆も思い始めますがオープン戦では2着となり初の敗北。
しかし本番であるこの日本ダービーではウメノチカラとの競り合いを制して優勝しクラシック二冠。
この時の走破タイムは後の三冠馬であるミスターシービーやシンボリルドルフを上回るものだったというから驚きです。

第25回 菊花賞

菊花賞を前に夏の猛暑によってシンザンは体調を大きく崩してオープン戦は2着、京都杯も調子が出なかったからか2着と惜敗が続きます。
そして三冠が懸かったこの菊花賞・・・カネケヤキの大逃げの前に「シンザンどうした、三冠は駄目か!?」なんて実況で言われましたが、直線で先頭に立ったウメノチカラを抜き去って見事に優勝。
これによりシンザンはセントライト以来23年ぶり、戦後初のクラシック三冠馬となりました。
「三冠の 手綱の重み 菊に曳く」・・・これは武田調教師の句だそうで。

第10回 有馬記念

菊花賞の後は年内一杯休養を発表し、翌年の天皇賞(春)を見据えていましたが体調不良により回避。
・・・実は体調不良などではなく当時快進撃を続けていたアサホコから逃げたなんて言われてましたがどうなんでしょうね。
という訳で調教代わりのオープン戦2つを制して歩を進めた宝塚記念、苦手と言われた不良馬場もなんのそのでしっかり勝利。

オープン戦、目黒記念を余裕で制したシンザンはこの天皇賞(秋)では単勝元返し(勝っても儲からない)。
シンザンはそれだけ強い、絶対に負けるはずがない、という信頼の現れですよね。
レースではミハルカスが大逃げを打って観客を沸かせたりしましたが、シンザンは動ずることなく直線で大外から一気に伸びて圧勝、四冠を手にしました。

その後、シンザンは有馬記念を最後に引退が決まりました。
というのも当時は天皇賞は一度優勝すると出走不可だったし、ジャパンカップとかも無い、海外に行こうにも時代が時代で難しかった・・・つまり、出られるレースがもう殆ど無かった訳です。
シンザンはこれまで中央競馬場での競争経験が無かったのでとりあえずオープン戦で走らせてみたら普通に・・・負けた。負けました。
この結果に栗田騎手はマジギレ・・・というのもオープン戦で騎乗していたのは栗田ではなく見習い騎手だったからです。
栗田騎手は一晩で暴飲暴食の限りを尽くした結果、病院に搬送されて本番の有馬記念には出られなくなるという・・・いや何やってんの本当に・・・w

そして迎えたラストランの有馬記念では栗田騎手の弟弟子の松本善登が騎手を務める事となり、レースではミハルカスの加賀騎手の策略によりシンザンは雨上がりの荒れた内馬場を走らされる形となるも、シンザンがまさかの超大外から追撃した為に観客の視界からは一瞬消えたかのように見え、息を呑む観客達の前に再び現れたシンザンは「鉈の切れ味」と呼ばれた末脚を繰り出してミハルカスに2馬身差つけて優勝。
日本中央競馬史上初の五冠馬は関東と関西で二度引退式の後、静かにターフを去りました。

シンザンぬいぐるみ

引退後は種牡馬になりミホシンザンやミナガワマンナなどの優秀な産駒を多く世に送り出し、1996年に老衰により死去・・・35歳の大往生でこれはサラブレッド、軽種馬共に日本最長寿記録でした(後にそれぞれ記録更新されましたが)。
当時の出走可能な大きなレースは全て制覇し、19戦15勝4敗で連対率100%。
「シンザンを超えろ」のスローガンを基に築き上げられてきた近代競馬・・・シンザンという存在は今もこれからもずっと語り継がれていく事でしょう。

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